戦後70年の年を迎えて

USSアリゾナ記念館の下に眠る戦艦「アリゾナ」

真珠湾攻撃で撃沈した「アリゾナ」の船頭が水面上に今なお見える

 

真珠湾・攻撃時資料博物館の入り口

今年2015年は、戦後70年目の年にあたり、府中市長を始め、関係者からの「新年のあいさつ」には、この節目に触れられる内容が様々な場面で述べられている。節目の年であることは捉えるが、だからそこで具体的に何が必要なのかについて、誰も大勢の場面で語ることはしない。安倍首相が進める武器や原子力発電の輸出、集団的自衛権行使容認について、国家権力の暴走を危惧する思いから触れているのか、いやいや平和の訴えを口ごもる姿勢を感じるのは私だけだろうか?

 昨年の1月には、核兵器のない法的禁止を求めている「長崎原爆資料館」に行き、アメリカからの原爆投下がされ第二次世界大戦終結に至るその悲惨さを身をもって学ぶ機会を得ることができた。

 そして、今年126日には、アメリカ合衆国の本土を守るために海軍や空軍が置かれているエリア、ハワイ州・オアフ島にある真珠湾に行く機会を持った。真珠湾は、1941127日に大日本帝国海軍による攻撃を行なった場所であり、第二次世界大戦の始まりの場所と言われている。停泊中の戦艦「アリゾナ」等を襲撃、沈没させ、多くの戦死者を出した。現在もなお海底に沈んだ「アリゾナ」が慰霊のためのメモリアルホール下に見える。船頭と船尾の形も水面下に見られ、海面では石油タンクから今なお微量に漏れている虹色の油の輪が見えた。世界各国から年間100万人は訪れる場所と聞く。

  両場所は、大勢の国民を巻き込み死傷者を出した場所であり、今なおその傷跡は癒えることはない。第二次世界大戦の始まりと終わりで関連のある場所であり、共に慰霊のためのメモリアルホールや当時の悲惨さを後世に残し、そこに身を置くことができる場所となっている。戦後70年経って、背景として日本とアメリカの憲法や法律には大きな違いがある。日本の平和憲法の精神を今にどう引き継ぎ、日本人として平和の価値観をどう高め合うのか、過去を直視し、これからの世界平和のためのけん引役として発信していく必要をあらためて感じた。