ドキュメンタリー映画「福島、六ヶ所、未来への伝言」を見る
フォトジャーナリストの島田恵さん初の監督作品が日野市内の公会堂で上映された。2回の上映会の間には、島田監督からのメッセージコーナーが約1時間あった。1986年のチェルノブイリ原発事故後、下北半島に行く機会があった時に、地元では反対運動が盛んに行われていた。泊港に座り込んで意思を表している人々と出会い、それが六ヶ所村の取材をするきっかけとなったと監督は話し始める。
「福島原子力発電所は、1970年代から関東首都圏に電気を送り続け、新潟県の柏崎刈羽原発からの電気とともに、高度成長時代を支えてきた。電気を使ってきた私たち自身が核のゴミを作り続けてきたのである。今や広島・長崎原爆の120万発分を作ってきてしまった。」
2年前の3.11以降、電気に囲まれた私たちの暮らしは、今一度立ち止まって考え直さなくてはならないと、監督が住む東京の多くの人にこの映画を通し訴えていきたい。事故後の福島の現状、関連する六ヶ所村の核廃棄物処理施設誘致に反対してきた漁民たちの今に至る生活の現状を知らせ、さらには未来の子どもたちに何を残していくのか考え直すきっかけにしていきたい、大量消費と大量廃棄を進めてきた一つの時代を終わりにさせなければならないと呼びかけられた。
福島の事故後の2012年6月には、八戸沖のマダラから基準値を超える放射性セシウムが検出され、出荷自粛措置がしかれた。沖で釣ったマダラをまた海に戻す作業をしながら、無念の思いがこみ上げてくる。反対運動をしてきた漁師から最後に「自分たちは海と山があれば暮らし続けられる」とポツリと話される言葉が印象に残った。
当日資料から、六ヶ所村の歳入(H21年度決算)は、約53億円が主に日本原燃からの固定資産税、国からの電源三法交付金が約20億円、日本原燃からの寄付金が2億円と、全体の計54%は核燃マネーが占める。仕事がなくなることの方が不安であり、地元ではその葛藤を目の当たりにしとても辛かったと感想を述べられた。