くにたち郷土資料館の「ハケ展」を見る
ハケとは、斜面や坂道を指す地名のことである。段丘がけの上一帯を「ハケ上」、がけ下を「ハケ下」と呼ばれている。このハケは、大正、昭和初期の地図を見ると、はけ・峡・垰・羽下・羽毛・端気・破毛・八景などと記され、すべてハケと読まれている。カタカナかひらがなかに関しても、地域によってまちまちで、日野市は『ハケ下』と呼び、府中市は『はけ下』と読まれているようだ。
そんな私の家も『はけ上』にあり、毎日のように鳥のさえずりを聞く。時にはその声で目がさめる。最近はメジロがピチピチと騒いでいるのを見かける。
約5万年前に地盤が隆起し、多摩川の流路が南に移動し、国分寺崖線ができ、箱根火山などが噴火し、後に古富士火山からの火山灰が降り積もり立川面ができた。約2万年前に立川断層が形成されたらしい。多摩川がさらに南方下し、青柳段丘面ができたのが約1万5千年前。多摩川の流路は左右に蛇行して氾濫低地を形成し、水田や畑地に変わり集落が形成されてきた。明治時代中期までは、集落は多くの場合ハケに沿ってあった。遺跡や古墳はハケ上に残り、神社がハケに沿って残っているのは、多摩川の氾濫が集落を押し流したとも考えられている。
湧水がなぜあるのか、ハケには連続した樹林地が残っており、生き物たちが移動するための生息地間をつなぐ重要な場所になっているなど、歴史的背景、人々の暮らし、湧水、樹林地、用水と生き物と、ハケ全体の意義も教えてくれたとても印象に残った「ハケ展」でる。
東京都もH24年3月にようやく保全のためのガイドラインを作成した。今後の保全方策が示され、緑の担保性を高めていくとしている。都と府中市を含む連携8市が構成する「多摩川由来の崖線の緑を保全する協議会」が発足して2年になる。市長は市民との協働を進める姿勢を発揮し、このガイドラインに則って地域での具体的施策を東京都とともに進めるべきだ。