多賀城市人口6万3千人 高齢化15.3%(府中市18.3%)高齢者世帯10.5%
被害状況:災害浸水面積33% 市内の津波の高さ5m(仙台港7m)地震後1時間に到達 製油所火災4日後の鎮火 防災無線使用不能で公用車と消防団で火災等の避難誘導 市内での死亡者188名 水道一部地域通水一週間後、全域通水18日後、この頃ガスが一部復旧 下水道全機能停止 電気は2日後一部送電開始
多賀城市の災害時のDVDを見たあと、交通防災課の課長から汗だくで発災時直後の状況を報告してくれた。
・民間避難所の提供があり、予定以上の避難所が開設出来た。
・避難所では、職員の人手不足。通信連絡可能になっても車もないので物資が届かず、食べ物の確保に苦労した。
・毛布の数も不足で現在は小さくたためるコンパクトタイプをたくさん用意した。
・実際は1万2千人以上が避難所した。食パンの四分の一が一日の食事となった。現在は、備蓄を5万食に増やした。
・あったかいと豚汁や焼肉が喜ばれた。
・近隣に大学があり避難所になり、若いボランティアの参加があった。
・昭和三陸やチリ津波も経験してきたにもかかわらず、防災計画に津波の想定をせず、浸水被害を0としていた。3.11の3日前に津波注意報があった。1,100年前の貞観地震で千人死亡している。心の中での油断もあり伝達の遅れにつながった。防潮堤、防波堤を作ったがさらに大きい地震が来てしまった。
・子どもたちの状況に配慮をしながら津波から逃れることの話など、先生や幼稚園との連絡会を開催し、このことを受け継いて行くことを進めなければならない。中学1年生で避難訓練実施 企業との連携をどのようにすすめるかが課題
・多賀城市に陸上自衛隊駐屯地があり、自衛隊員が使用する簡易入浴施設を住民が使用した。
・9月30日で全避難所を閉鎖した。
・地盤沈下で1m以上のところがある。かさ上げが課題
・市内在住の職員が150人で全体の33%、初動班が動ける状況を今後作らなければならない。
すべてが貴重なお話であった。