東日本大震災 被災地ボランティア その②

被災地のたすけあい、つないで伝えて広げていこう!

バリアフリー仮設住宅「玄関を開けると家の中がそのまま見える」と玄関にのれんをかけている 冬は透明板で寒さよけを付けてほしい。
バリアフリー仮設住宅「玄関を開けると家の中がそのまま見える」と玄関にのれんをかけている 冬は透明板で寒さよけを付けてほしい。
2日目
今日は、障がいをお持ちの方々が暮らす仮設住宅への配食サービスと『3.11いわて教会ネットワーク』主催「希望のコンサート」の受付お手伝いを支援行動とした。

昨夜に用意した食材を調理、宿泊先の方から提供されたお米で炊飯、おにぎりにし12世帯30食を用意し、車に乗せて隣の大船渡市に向かう。

宿泊先から陸前高田市を車で横断する際、津波を被った杉の木が茶色になっている(約20Mの津波)、積み上げられた廃車やがれきの山を車窓から見ながら、一つ峠を越え大船渡市の漁港へと走った。狭い入り江にも8Mの津波が押し寄せていた。漁港沿いに走ると市場や商工会議所の建物も壊され、海水が道路上に満ちている。山手側の民家の土台も一部補修中。

しばらく走ると文化施設「リアスホール」が山手側に見えた。今日のコンサート場所である。また、この近辺の仮設住宅2棟を訪問した。大船渡市内の唯一バリアフリー対応の仮設住宅がこのあたりに3棟点在している。(朝日新聞東京でも取り上げられた)大きなショッピングセンターに近く、足の便は良さそうだと思われる。しかしながら、公園の中に作られ、道路に面していることで、地域の人たちから見られている気がするという声も聞く。社会福祉法人でかかわっていた地域の市議会議員の紹介で一軒一軒訪問をすると、炊き出しは初めてだと聞く。6世帯などの小さな仮設住宅にはなかなか支援が届かないことを聞く。ひとり暮らし高齢の障がい者の方も入っている仮設住宅には、生活援助員が日中見守り、ソフト的に充実しているように見受けられるが、障がい者のみを集めての仮設住宅での生活は横のつながりが作りにくいのではないかと思った。このような声を聞きながら、お昼ご飯を受け取ってくれた時は、素直にうれしかった。こちらもそのことに感謝した。

午後からは、コンサートのお手伝いとして「リアスホール」に滞在するが、私は、その中にある立派な図書館で足を止めた。そこには、昭和30年代や明治時代のこの地域での津波のことが記された書物が手に届くところに置かれ数冊を食い入るように読み入った。当時は3〜6Mの津波だったことが記され、ずぶぬれになり助けてもらった経験談などが数々書かれていた。

コンサート終了後、ショッピングセンター内で障がい者団体が運営しているカフェでお茶をいただき、自分たちの夕食や明日の買い物をし、宿泊先の陸前高田市に戻った。