2011年建設環境委員会視察報告 7月20日〜21日 その③

福岡県柳川市景観まちづくりについて

「北原白秋のふるさと水郷・柳川」と謳われる400年前からの歴史を学ぶことからこの視察は始まる。昔は、川の水をどのように自分の領土に引き込むか争いも絶えなかった。掘割は、田畑に水を引き込むことから物資の運搬や生活用水にも利用されてきた。

掘割は、今でも船頭さんが船を出し、昔ながらの風景や文化を味わうため年間110万人の観光客が来る柳川だが、昭和後半には、水路がゴミだめになり、汚れが進んだことで、これではいけないと行政と住民とが一緒に清掃活動を進めた。年に一回「水落ち」とし水をせき止め、10日間掘割清掃をする行事がある。河川浄化事業では、「伝統的文化都市環境保全地区整備事業」の対象地区に指定され、まちづくり交付金の利用もあった。柳川市用悪水路管理条例の廃止から用排水路管理条例へと昭和51年に進んだ。昭和56年に柳川市せっけん使用推進要綱(現在は廃止)をつくり水質汚濁を防止した。

美しい風景を維持するには、都市開発規制で景観を維持する法を定めるにも至った。建築指導条例で16m以上の建物は作れないこと、さらに10m以下の規制にしていきたいとのこと。新しい柳川市景観計画(仮称)を策定中と聞く。今後は組織間の連携や職員の意識の向上も課題としている。組織体制としては、建築部にまちづくり課、観光課があり、産業経済部に農政課、水路課、柳川ブランド推進室がありハード面から観光をアピールしていることがよくわかる。

所々にある橋げたの「もたせ」(絞り込みを生かした水門の形)に目を引く。「もたせ」には意味があり、下が狭くなっているのは、水かさが少ない時には狭くすることで流れを早くする、そして下流の支流の掘割にも水が行きわたるようにするため、また、上が広がっているのは水の量が増えてもすぐには橋げたまで水位が上がらないよう、流れを緩やかにするためなど先人の知恵話を聞く。

掘割と柳の木そして歩く地面より下で船が行き来する風景が時代劇を思わせこの街並みが普通に続いている。