文教委員会視察その1:防府市「歴史美遊感計画」を知る

文化財を活かした地域づくり推進計画を進める

人口12万人、国でのモデル事業の募集があり決済まで半年という早さ。その後H9年5月から協議会設置、一年足らずで計画策定とそのスタート。

防府市も地域一体弥生時代から開け、政治の中心地となっていた。平安時代には、菅原道真を祭った日本三大天神の一つ防府天満宮がある。天満宮の門前町として商工業の中心地として発展。毛利氏が水軍の拠点を三田尻地区においたことから藩の財政政策として塩田開発を行う。赤穂に続く製塩都市だった。

総合計画で防府市土地利用イメージを持ち、ゾーン化を図った。天満宮と毛利邸を拠点とした自転車の貸出を行っていた。天満宮入口にある「まちの駅」では、お土産物販売所、観光案内、自転車貸出を行っている。街並みを生かしバリアフリーと電線の地中化埋設も主な取り組み。まちづくり交付金で「地域交流センター」(コンサートや展示会などが開催)が駅前に出来ていた。観光では年70万人がくる街だが普段は静かな瀬戸内の街並みと見受ける。東京都府中市市政55周年で開催された「国府サミット」には防府市の担当者が参加された。

国衙の整備として発掘調査はすべて済んでいない。年に1〜2千万円必要とし土地買収も必要だがなかなか進まない。200M四方の大きな公園が「国廰」として残されていた。情報発信の強化、ボランティアガイドの発掘、観光資源を有機的に繋ぐためのネットワークづくりが課題と聞く。

昨年の防府市内の土砂崩れで高齢者ホームが濁流にのまれてから丁度一年となり、翌日「地域交流センター」で慰霊祭が行われた。