「鳴門市賀川豊彦記念館」で学ぶ

協同組合運動の精神が今に至っても受け継がれ、そして次の世代へ

労働運動、農民運動、普通選挙運動、生活協同組合運動などの先頭に立って各種社会運動を繰り広げてきた『賀川豊彦』が徳島県鳴門市で幼少時に育ったことを初めて知った。とても身近な人だったこと、母校の先輩である旧徳島中学校を卒業後、神戸で救済事業に携わり、その後平和運動から様々な協同組合の精神を広める活動を繰り広げてきた人である。

ともにお金を出し合って地域社会を作っていこうとする自治の考え方を築くまでには、当初スラム街での救済の限界を知り、どのようにすれば平和を築くことができるのか、その精神をアメリカ留学時に学び、帰国後“救貧から防貧へ”と様々な社会運動を指導されている。

神戸市や世田谷区松沢にも記念館があるようだ。『賀川豊彦』の提唱した友愛・互助・平和の精神は現在にも受け継がれている。
Hpで見ると、人と人とを「分けることなくともに暮らす社会」を目指す講演会や活動もしているようだ。コープこうべや世田谷区から広がった生活クラブ生協もこれらの由縁だったか!

そして、賀川は、東京都多磨霊園に眠っていることもわかった。明治末期から最期は世田谷松沢で亡くなる昭和35年までの日本の歴史と併せ考えてみても、戦後に至っては高度成長とともに底辺をゆっくりと国民生活の中で育んできた根強い魂なるものを感じる。今後も協同の社会が問われ、この営みを次の世代といっしょに創っていくことが私たちに突き詰められている。

たまたまではあったが、両親と久しぶりに出かけた先でこの記念館を見つけた。2002年に3,000人からの寄付で建てられ、その後鳴門市が管理していると聞く。今も寄付の呼びかけは募られている。