東日本大震災 被災地ボランティア その①

被災地のたすけあい、つないで伝えて広げていこう!

また来たことを伝えるとお昼用に栗ご飯を持たせてくれた
また来たことを伝えるとお昼用に栗ご飯を持たせてくれた
被災地支援という言葉がふさわしいのか未だ自分自身に問いかけている。震災で起こったことがどのようなことだったのか、ニュースではなく、実際に行き自分の眼で見ること、かねてから行く機会を考えていた。NPO法人ACTの連続訪問活動で、3泊4日で陸前高田市と大船渡市に行くことが出来た。

避難所から仮設住宅へ移り住んだ後、どのように人たちが毎日の生活を営んでいらっしゃるのか、これまで2回の訪問の中から、あらかじめ手伝えそうな企画を予め相談しての今回の活動だった。私たち4人のボランティアは新宿から車にてまずは陸前高田市へ。大きな炊飯器、なべ、小型ボンベ、寝袋などを積んで出発。運転手は、早稲田大学YMCAの石戸充さん。「ACTのコーディネート力をいかしてほしい」と要請を受けて今回が3回目の出発である。

陸前高田市は、約人口2万5千人のうち、1,500人が津波で流され死亡、行方不明者500人。町の三分の二は全壊。市庁舎、消防署、病院も海に近く、中身のない建物のみが残る。市役所は5階近くまで波が来たと後で市長が書かれた自叙本から知る。ローカル鉄道、鉄橋、建物の鉄筋の窓枠、車、家財もろともほとんど流されている。

一番最初に伺った26世帯の仮設住宅の集会所では、3人の代表の方々から先日行われた「気仙町のけんか七夕」や「気仙川川開き」について話しをしてくださった。一台のみ残った鉾でのけんか七夕で新たにつながりの手ごたえを感じ、そのことに教えてくれる時の明るさ、力をこちらがいただいた。一方でが、両親を亡くした子どもたちのことを私は心配した。

ボランティア用の布団を貸し出してくれる高台の仮設住宅に向かう。夜になりあたりは真っ暗。高台まで車でかなり上がった。平地では大きなスーパーが再稼働していた。宿泊先は気仙川の河口から5キロ程上がった、離れをお持ちの農家宅でお世話になった。

明日は、さらに仮設住宅への訪問とチャリティコンサートのお手伝いと4人で綿密な…予定を組んだ。